【断捨離】過去の栄光を捨てて2年が経った感想

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2年程前に、過去の栄光を捨てるかどうかで悩んでいたときの自分のメモを発見!

当時の自分のリアルな悩みを、2年後の冷静な自分が見てどう思ったか紹介します。

いま過去の栄光を捨てるかどうか悩んでいる人には良いサンプルになるのではないかと思います。

それでは本題に入りましょう。

【当時の悩みメモ】

まずは、恥ずかしながら自分の過去のメモをそのまま記載しようと思います。

 

過去の栄光は何の役にも立たない。

 

他人は今現在の自分を見ているので、過去の栄光をいくら見せつけたところで、良い印象は持ってもらえることはない。

むしろ、嫌悪感を持たれるだけ。

 

自分についても、良いことはない。

過去の栄光をよりどころに自信を持ち、いろんなことにチャレンジし、目標に向かって頑張ろうとなるのなら良いが、大概はそうはならない。

 

過去にこれだけのことをやったのだから、もう頑張らなくてもいいのではないかと、アグラをかくことになるか、過去の栄光を失う恐怖から、身動きが取れなくなるかのどちらか。

過去の栄光と現在のギャップに失望し、やる気を失うリスクだってある。

 

やはり、これも世間一般によく知られる言葉だが、「失うモノが無い者が一番強い」という。

何も持ってないからこそ、何かを手に入れたくて動くことができるのかもしれない。

 

 【メモを見て今思うこと】

それでは2年後の僕の感想を書いていきたいと思います。

なかなか正しいことを書いているなというのが、現在の感想ですね。

自分でいうのもなんですが。

ただ、一部間違いを指摘するならば、このセリフですね。

「過去の栄光は何の役にも立たない」

正しくは、

「過去の栄光を物質にして表現したモノは何の役にも立たない」

ですね。

つまり、トロフィーだったり、表彰状などの類ですね。

これを水戸黄門の印籠(いんろう)みたいに使って他人に見せつけたり、自慢してマウントを取るために所持するのは、全くもって意味がないということです。

 

しかし、栄光を手にするために努力した記憶や思い出は、とても役に立ちます。

やはり、新しいことにチャレンジしたり、困難にぶつかったとき、昔努力した経験を思い返すとへこたれずに頑張れるものだったりします。

 

ところが、これを頑張った経験をよりどころにするのではなく、俺はこんな素晴らしい表彰状をもらった男なんだぞっていう考えでいると、不思議なものでチャレンジや頑張りがきかなくなってしまうんですよね。

 

要はどこに視点を置くのかが重要なのだと思いますね。

経験や体験に視点を置くのか。

結果に視点を置くのか。

同じ過去の栄光なんですが、視点の置き方で行動やメンタルの面ですごく違いが出るというのが僕の感想ですね。

 

ちなみに、記憶というのは、モノを見ることによって思い出されることがあるのですが、モノが無くなると記憶も無くなってしまうということはありません。

特に、頑張った記憶なんていうのは、トロフィーが無くても、けっこう鮮明に覚えているものです。

むしろ、トロフィーという結果を表した物があると、考え方の視点が結果に引っ張られてしまい、先に書いたような悪い面が出てしまうような気がします。

そして、トロフィーなどの類を大切に持つようにすると、そのような考えになりがちなので、注意が必要かなと思いました。

 

【まとめ】

・栄光を手にするために努力した経験に視点を置くと行動やメンタル面で良い影響がある。

・栄光によって手にしたトロフィーや表彰状などのモノ自体に執着してしまうと、行動やメンタル面で悪い影響がある。

・努力した経験はモノが無くても忘れることはない。

・トロフィーなどを大切に持っていると、努力した経験ではなく、結果に執着してしまうようになる。

 

以上のことから、トロフィーなどの過去の栄光を表したモノは捨てたほうがいいというのが僕の結論になりますね。

 

うーん、2年経ってじっくり考えてみましたが、やはり捨てたほうが良いですね

最初は抵抗感があるかもしれませんが。

モノがあると執着してしまうけど、モノが無いんだから執着できない。

なので、おのずと経験という記憶に視点が移るという流れですね。

こういう仕組みなので、思い切って写真も撮らずに捨てるのがベストかもしれません。

ぜひ参考にしてみてください。

 

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