昔とった表彰状・トロフィー・学生時代の成績書・若い頃の写真など、「過去の栄光」とよばれる物を皆さんも何かしら持っているのではないでしょうか?
今回は断捨離をしていくと、必ずぶつかるこの問題。その決断の下し方について、解説していきます。
過去の栄光が捨てられないのは人間の本能
人間には承認欲求というものがあります。
どういうものか簡単に説明すると、他人から価値のある人間だと思われたいという欲求です。
これは集団生活をしないと生きていけない人間にとって必要不可欠な機能になります。
人間は人の目を気にして生きるように設計されているのです。
「人の目を気にして生きる」というと聞こえが悪いかもしれません。
しかし、この承認欲求がないと、皆が自分勝手に好き放題することになり集団が崩壊し、最終的に全滅ということになります。
このような人間の性質から、私たちは他人に自分は能力の高い価値ある存在なんだと証明したくなるようにできています。
本当は現在進行形で自分の価値を示すことができれば一番良いでのすが、そう簡単にはいきませんよね。
人生山あり谷ありです。
調子の良いとき、悪いときがどうしてもあります。
調子が良いときは、自分の価値を現在進行形で見せることは簡単です。
問題は調子が悪いときです。
いくら口で自分はこれだけ凄い能力があるんだと力説しても、今この場で目に見せることができないので、どうしても説得力に欠けます。
そんなとき、とても便利なもの。
それが「過去の栄光」です。
第三者からの評価を見せることで、他人に自分の能力の高さを証明することができるのです。
過去の栄光にも消費期限がある
前述の説明だと、やはり過去の栄光は必要だということになると思われるでしょう。
しかし、過去の栄光にも消費期限があるのです。
どういうことか、具体例を上げましょう
例えば、学生時代、運動部に所属していて、試合で優勝したとします。
1年や2年くらいの間は、友人にその自慢話をしたら、素直に実績を評価してくれるでしょう。
しかし、学校も卒業し、社会人になって何年も経ち、当時の面影が全くない状態で、その自慢話をされたら他人はどう思うでしょうか?
「・・・本当か?」
「というか、ブクブク太って運動部時代の面影ないじゃん・・・」
「いつまで過去の栄光に浸ってるんだよ・・・」
と内心思ってしまうのではないでしょうか。
話の仕方にもよるでしょうが、このように、今現在の自分の状況からは想像もできない、昔過ぎる過去の栄光を持ち出すことは、自分の価値を高めるどころか、価値を下げることになりかねません。
過去の栄光は、いま輝いているからこそ、鮮やかに映えるものです。
いま輝いていない状態で、過去の栄光を語った場合、落ちぶれたなと思われるのがおちです。
人は今を見ている
結局のところ、人間は今現在、目の前にあることしか評価できません。
想像してみてください。
例えば、男性の場合、2人の女性から告白されたとしましょう。
1人は、昔はかなり太っていたが、ダイエットに成功し、自分磨きをしてキレイになった女性。
もう1人は、昔はモデルのように美しかったが、今では太ってしまい自分磨きを全くしなくなった女性。
どちらを選びますか?
女性の場合も同じく2人の男性から告白されたとしましょう。
1人は、昔はホームレスだったが、一念発起しビジネスに成功した男性。
もう1人は、昔はビジネスに成功し、資産家だったが、今はビジネスに失敗し、ヒモのような生活をしている男性。
どちらを選びますか?
どうでしょうか?
おそらく、今現在、頑張っていて成果を出しているほうを選ぶのではないでしょうか?
過去の栄光を捨てるタイミング
それは過去の栄光を見たとき、「自分ならできる!だってこれだけのことをしてきたんだから大丈夫だ!頑張ろう!」と思えるかどうか。
この1点につきます。
過去の栄光を見て、頑張ろうと思えるものは大切に持っておくべきです。
反対に「昔は良かったなー、昔に戻りたいなー」と思ってしまうものは捨てたほうがいいです。
いま現在の生活に不満があり、行き詰っているときは特に。
私が捨てた過去の栄光
私は中学時代の成績書と高校生のときに取った柔道と黒帯を捨てました。
どちらも私のコンプレックスを克服した証でした。
中学時代の成績書について。
私は中学1年生とき、皆からバカにされるくらい成績が悪かったのですが、見返してやろうと必死に勉強をし、中学3年生のときには5教科の平均点が90点以上になるまでになっていました。
学年ワースト5だった私が、卒業時には学年トップ5に入っていたのです。
漫画のワンピースで例えるなら、世界最弱の海イーストブルーのチンピラが、3年後、シャボンディ諸島で待ち合わせをして会ったら、王下七武海のメンバーになっていたようなものです。
柔道の黒帯について。
中学時代、勉強ばかりしていてガリ勉と呼ばれ、からかわれてしまったので、これも同じく見返してやろうと思い、必死に練習し取ったものです。
どちらも他人に自分の能力を示すためのものです。
しかし、よくよく考えると
「俺ってすごいだろ!やればできるんだ!俺を舐めるなよ!」
「いまは大したことないけど、本気出せばすごいんだ」
「いまは本気出してないだけ」
という口だけで行動を起こさない、負け犬の遠吠えのような考えが含まれていることに気づき捨てました。
捨ててみると不思議なもので、心機一転、1からスタートだ、と晴れ晴れとした気持ちになり、考え方が前向きになりました。
過去の栄光は、物を捨てても自分の記憶から消えることはありません。
そして、自分の心の中にあれば、充分なものです。
他人に見せつけるものではないと思いました。
最後に
いかがでしたか?
今回は「過去の栄光をどう取り扱うべきか」について紹介しました。
ぜひ参考にしてください。
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